<賛成討論>
教育基本法「改正」ではなく、教育基本法に基づく施策を進めることを求める意見書を政府等に提出することを求める陳情
平成16年12月 定例会(第4回)-12月15日
*テ−プ越し原稿です

○10番(熊坂 徹君) それでは私は、陳情第12号、これについて賛成の立場から意見を申し上げたいと思います。

 先ほど委員長報告があったわけですけれども、半世紀が既にたって、戦後、社会状況が大きく変化してきたということで、時代に合った教育基本法の改正が求められていると。そういった趣旨の内容だったかと思うんですが、確かに今現在、青少年の置かれている状況、非常に憂うべきものがあるというふうに私も認識をしております。

いじめや不登校、あるいは引きこもり、学級崩壊、さらには犯罪の低年齢化や、この間議会の一般質問でも取り上げられましたフリーターやニートの問題、こういったさまざまな青少年をめぐる問題に取り囲まれているわけであります。

 ただ、教育基本法との関係で申し上げれば、むしろ教育基本法が悪いから、時代に合わないから、こういう問題が起きているんだという、そういう考えはちょっと私は理解できないんですね。むしろ、その逆じゃないかと。基本法の理念が生かされていないから、こういう状況になっているんではないかというふうに私は思っております。

簡単に言えば、個の確立ができていない。そういうことから、こういったさまざまなニートの問題等も含めて起きているというふうに考えるのが一番妥当ではないかというふうに思うんですね。

 そういう観点からしますと、教育基本法の理念、精神というのは、もちろん日本国憲法に基づくわけですけれども、個人の尊重ですね。平和を愛する、追求する人間の形成ですか。こういった憲法、あるいは教育基本法の理念、これが十分実現していないということから起きているわけですね。

 理想というのは非常に崇高な理想ですので、なかなかその実現を図るといっても難しい要素があるというのは私も十分認識をしております。しかし、だからといって理想が悪いとか理念が悪いというのは、ちょっと考え方が逆ではないかというふうに思うんですね。

むしろ、そういった視点に立って考えれば、この青少年の問題の根本にあるのは、青少年の側じゃなくて、我々大人社会といいますか、我々大人社会のあり方、モラル等も含めて、こちらの方に私はより大きな、より一層大きな問題、原因があるというふうに思っております。

 改正しようとしている人たちが、果たして本当にこうした子供たちの置かれている状況を認識して、子供たちのことを思って改正をしようとしているのか、非常に疑問に思われるわけですね。

例えば国を思う心、愛国心というのも、今の現実の日本の国の政治を見てみれば、皆さんおわかりのように、いつもスキャンダルが絶えないわけですね。常に悪いお手本ばかり見せているといいますか、そういった状況の中で、愛国心だとか、国を愛しなさいとかいっても、なかなか国民は素直には信用してくれないということだと思います。

 無理やりそれを押しつけるというのは、非常にこれはまた逆の意味で問題があるというふうに思います。愛国心とか、そういったものは強制されて持つものじゃなくて、やはり自然に中からわいてくるものが本当の愛国心だというふうに思います。その愛国心を強制、強要するような、そういった改正というのは非常に私は疑問に思うところであります。

 それから、この特に問題になっております愛国心とか民族意識の高揚ですね。これを教育理念の中に盛り込もうというんですけれども、実際に教育法、あるいは教育基本法の中にこういったものを盛り込んでいるのは、世界広しといえども中国ぐらいのものであるというふうに言われているんですね。

中教審の資料でも幾つかの国の基本法、教育法に関して資料提供がされたそうですけれども、その中で唯一この愛国心とか民族意識の高揚ということを盛り込んでいたのは中国だけだというふうに言われております。

 ご承知のように社会主義の国ですから、中国の教育法の内容は、社会主義建設理論などの指導の堅持だとか、社会主義教育の推進であるとか、中華民族の歴史、文化、伝統の継承と高揚とか、国家社会ですね。あるいは公共の利益への適合とか、こういったことを中心に構成されているそうですけれども、つまり、どういうことかといいますと、こういった愛国心であるとか、あるいは教育の国家の統制管理を強めるというのは、中国のようなといいますか、そういった国では当たり前のことかもしれませんけれども、これからグローバルな世界の中で日本人が活動していくためには、そういった考え方に立つんではなくて、もっとグローバルな視点に立って考えていかなければいけないし、行動しなければいけないんじゃないかというふうに思います。

 それで、この教育基本法ですけれども、もともとできたというのは憲法ができてつくられたわけですけれども、当然日本が行った戦争の反省に基づいているわけですね。そして、そういった戦争の否定の上に立って、国民一人一人の個の尊重に基づく、そういった考え方でつくられてきているわけですね。戦後の教育史を見てみれば、基本法が悪いんじゃなくて、むしろ悪いのは教育行政といいますか、文科省を中心とした政府の教育行政が間違っていたといいますか、適切でなかったということだと思います。

 考え方としては、これは本当に個の尊重に立つわけでありますし、考え方も地方分権なんですね、当初から。それに対して国、あるいは文部省、旧ですね。あるいは文科省がやっているのは国家統制を強化するということですよ。そういった中で、地方自治においては地方分権がこの数年叫ばれていますけれども、教育の世界においては逆に教育の分権じゃなくて、中央統制を強くするような、そういう方向になってきているわけですね。その流れの中での教育基本法の改正だというふうに理解しなければいけないというふうに私、思っております。

 最後に、非常に重要な視点といいますかね、この教育基本法の改正の本当のねらいというのは、やはり憲法の改正だというふうに思っております。特に9条ですね。これについては、ここで余り述べるべきではないと思いますけれども、ただこの9条は、要するに戦力を保持しないと言っているのにもかかわらず、そういった憲法の条文の規定があるにもかかわらず、今の日本の現状を見れば、世界第3位ですよ。世界第3位の軍事大国だともう既に言われているんです。そういったもし歯どめがなくなったときに日本がどうなるかというのは、非常に教育基本法の改正も含めて危惧されるところであります。

 この憲法の前文を引用すれば、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定するということになっているんですね。政府の行為によってなんですね。

やはり政府というのは非常に危険な要素を持っておりますので、それを国民主権という、そういう原理原則の上に立って、きちんと監視し、コントロールしなければいけないというのが一番の原点だと思いますね。ですので、余り教育においても政府の介入、統制を、戦前の時代みたいに教育勅語ですか、そういうものによって統制を図るというのは非常に将来が危惧されるというふうに思っております。

 とりとめのない討論になってしまいましたけれども、そういった意味から、本当に今考えなければいけないのは、やはり教育においても私は地方分権だというふうに思います。
 以上で討論を終わります。