陳情第17号、八菅山や尾山耕地/中津川周辺の自然生態系と里山環境の保全を求める陳情に対して、賛成の立場から討論します。
まず、1項目めの、八菅山や尾山耕地/中津川周辺の自然生態系と里山環境の保全については誰も異論がないと思います。
つい先日も、新聞報道にあったように、また新たに県レッドデ−タブックで絶滅種とされている昆虫<イトアメンボ>が尾山耕地に生息していることがわかりました。新聞の見出しにもあるように、<愛川町の里山は自然豊かな宝山>です。この残された貴重な自然環境を次の世代に引き継ぐことは、我々の使命でもあります。
さて、問題は2項目めにあげられている<この地域に計画されている町道幣山下平線整備計画について、環境影響評価法に準ずる調査概要、具体的手法、調査・予測・評価を行うための手続き等>について、どう考えるかです。
まず、法律の関係でいえば、この道路計画はアセスの対象にはなりません。しかし、だからといってアセスを行なわなくてもいいとはどこにも書いてありません。むしろ、法の精神からすれば、必要があれば、例えそれが対象外の事業であって行うべきであると、そう解釈すべきであります。
このアセスに準じた調査ということについて、町は、いま進めている学芸員による貴重種の分布調査と博物館の調査事業として行っている<中津川動植物調査>、この結果をふまえ、専門家の意見を聞いたうえで、保全対策を考えて行きたいと答えています。
それに対して委員会の意見は、町がそのように一生懸命環境を守ろうと努力しているんだから、いいんじゃないの、なにもアセスに準じた調査などしなくても、町を信用して、見守って行きましょうよと、こんな意見が大半を占めました。
しかし、果たしてそれでいいのでしょうか。なぜ、アセスなのか。それは、アセスが調査と予測と評価を公平な第三者に委ねることによって、事業者が自分に都合のいい判断をしないようにするために、つくられた法律・制度だからです。
つまり、自分の都合のいいやり方はしません。きちんと、必要な調査は行いますし、情報公開もします。さらには、皆さんのご意見もちゃんとお聞きします。しかも、それを口で約束するだけじゃなくて、きちんと法律に定めた。口約束でなく、法律によって、制度として保証した。そこに、アセスの意味があるのです。
ですから、町が、環境を本気で守る気があるなら、このような陳情を町民の方からいただかなくても、率先して、アセスに準じた方法、手続きをきちんと定めて、この問題に取り組んでいるはずです。
ところが、アセスを町はやりたがらない。専門家の意見も聞いて、自然環境にはじゅうぶん配慮してやるから、大丈夫です、町を信用してくださいと。
しかし、本当に信頼がおける機関は、私を信用してくださいだなんてことは言わない。きちんとやることをやって、その判断は第三者に任せる。それが人から信頼される条件です。公平にして客観的な判断は第三者しかできない、これ常識です。
ところが、どうも町はそれを恐れているようです。どうしても、自分で判断したい、自分で決めたい、そういう思いが殊のほか強いようです。そうでなければ、とっくに信頼のおける第三者機関に、この問題を任せているはずです。それが一番公平で、わかり易いやり方なんですから。
しかし、町はそういう方法をとらない。町には、環境基本条例にもとづく環境審議会といった機関もありますが、その環境審議会にも諮問をしない。あくまでも、自分が決定権を保持したまま、事を運びたい。それが見え見えです
もし、第三者機関に任せたりすると、自分に都合の悪い判断をされてしまうかもしれない、それじゃあ困る、という意図が働いたのかどうか、それは知るすべもありませんが、徹頭徹尾それにこだわっています。
こだわるのはいいですが、しかし、それでは、公平性と客観性は保証されないんであります。
町がやれば、当事者だから、どうしても主観的になってしまう。自分は正しいですよと自分が言うんじゃ、誰にも信用してもらえない。だから、事あるごとに、じゅうぶん環境に配慮しますと、そればっかり繰り返し言うようになる。しかし、繰り返して言えば言うほど、言葉というのは虚しく響くものです。
もうひとつ、アセスということでわれわれが問い掛けられているのは、手続きの透明性といいますか、公開性のことです。確かに町は、環境に配慮します、専門家の方の意見も聞きますと言っています。しかし、いつ、どこで、どんなふうに聞くのか、われわれには全く分からない。それをはっきり制度として保証しているのが、アセス法なんですが、この点についても不明確なままです。
ほんとうにきちんと情報が公開されるのかどうか、それも分かりませんし、オ−プンな審議が保証されているわけでもない。しかも、町民の意見がそれに対してどのように反映されるのか、それを保証するものは何もありません。
このように、いわば、ブラックボックスの中で行われる審査は、例えそれが善意に満ち満ちたものであっても、誰からも信頼を得ることはできません。
本筋の議論ではないですが、アセスにはお金がかかるという人がいます。確かに、ただではできませんが、必要な項目だけを選んで行うミニアセス、簡易アセスなら、費用もさほどかからず効果的に行うことができます。
しかも、町は必要な調査を行い、専門家の意見を聞くといっているわけですから、それをそのまま信頼のおける第三者機関へ託し、所定の手続きに従って環境への影響評価を行うようにすれば、もう、それだけでそれは立派なアセスですし、それができないという理由はどこにもないはずです。
アセスメントだなんて普段使わない言葉を使うから、何か特別のことのように感じられるかも知れませんが、いま、町がやろうとしていること、それをそっくりそのまま、きちんと整理し、調査のやり方と手続き決めて行えば、もう、それがすでにアセスなんですから、あえてアセスを避ける理由は何もないはずです。
ところが、町はアセスをやりたくない、なぜなのか。別に、何も難しいことはないのにです。それによって町民の信頼と評価が得られるというのに、それをやらない。信じられないことです。
結局、言葉で環境の保護、環境への配慮を言いつつ、その実、やるべきことをやらない、なぜなら、公平かつ客観的にやられては困るから、それが、何としてもアセスだけは避けたいとする町の本音のようです。
実は、あえてこの場で申し上げますが、この件で、町はすでに一度苦い経験をしています。町が示した道路構造について、例の生物トンネルのことですが、意見を求められた専門家の方は、はっきり<NO>、それではダメですよと答えています。
問題は、その後なんです。意見を聞かれた専門家が<NO>といった、しかし、町はそれを尊重するかわりに<無視>した。無視して、それをそのまま地権者説明会にもっていって出した。専門家にダメだといわれた道路構造をですよ、そのまま地権者の方に見せて、説明している。
専門家の方というのは県の博物館の方ですが、とても怒りましてですね、怒りのファックスを町に送ってきているんですね。それが意見を聞いた者に対する礼儀ですかと、自分は、専門家として誠実に、あくまでも専門的な立場からアドバイスをしてさしあげた、ところが、せっかくの好意を町は無にした。私は研究者としての名誉を傷つけられたと。
専門家のご意見を聞くといいつつ、町が専門家の意見を聞くやり方は、今私が説明したような、そういったやり方なんですね。自分の都合の悪い意見は無視してしまう。隠してしまう。
さっきから、私が信頼のおける第三者機関に任せないとダメだというのは、そういうことなんですね。これは、愛川町だけがそうだということじゃなくて、他の町だって、県だって、国だって、どんな組織・機関だって、そういうやり方をしている限りおなじことです。私だって同じ立場であったら、そうしたかも知れない。だから、担当者の気持ちもよく分かります。
つまり、結局、やり方が悪いんです。そういったやり方を許している限り、どこでだれがやってもそうなるんです。だから、アセスなんです。いい加減などうにでもなるようなやり方ではなく、きちんとル−ルを決めてやりましょうと、それがアセスなんです。
しかし、委員会はアセスは必要ないと、つまり<ル−ル>は必要ないと結論づけました。信じがたいことです。
そして、今また、本議会が、それを承知のうえで、あえて、この陳情を不採択にするならば、われわれが得るものは、町民からの不信感しかありません。環境の保護は口先だけなのかと、叫ぶ町民の声が私の耳元に聞こえてきます。
そういった意味で、この陳情は、議会にとっても試金石となるものです。採択か不採択か、それによって、まず真っ先に、議会がアセスメントされてしまいます。ほんとうに恐ろしい陳情であります。チェック機関である議会が、いままさに、チェックされようとしています。議員みなさんの良識あるご判断を期待して、私の討論を終わります。
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